元ブラジル代表フェリペ・メロ
セレソンがアルゼンチンと対戦した時、僕らは“みんながメッシを1回ずつ蹴る必要がある。ローテーションで蹴りにいこう”と話していたんだよ
実際の試合。
意図的ではなく結果としてファールになってしまうのはサッカーの特性上しょうがない。
しかし、最初から「ファールでもいい」とか、「戦術的に」というのは、果たして正しいのだろうか?
単純な結果を最優先にする勝利至上主義の人間にすれば、それは正しいかもしれない。
もし意図的なファールで相手を止めることで失点を防ぎ、そのおかげで勝てたとすれば、ファールをしても問題ない。
退場者を出してしまうとさすがに困ってしまうが、退場者を出さないように複数人がイエローカードをもらうようなファールを意図的に犯してもそれは問題ないとなる。
レッドカードは非難するが、イエローカードなら許してはいないだろうか?
大きなケガになるようなタックルは非難するが、そうでもないものに対しては許してはいないだろうか?
それは結果の問題なのか? 行為の問題なのか? 動機の問題なのか?
マラドーナの時代は今よりもっとひどかった。
では、サッカーファンとしてはどうだろう?
メッシやマラドーナがボールを持つたびにDFに足を蹴られていたとしたら?
それを見て、「サッカーって楽しい」と感じるだろうか?
お金を払って見る価値があると思えるだろうか?
子供たちがそれをみて、「メッシやマラドーナのようにプレーしてみたい」と果たして思えるだろうか?
自分もサッカーがやりたいと思うだろうか?
自分がプレーしていたらどうだろうか?
サッカーをしているときに、自分が楽しいと思えるプレーはどんなときか?
何のためにサッカーをしているのか?
何のために練習をしているのか?
もしファールで止められるなら、技術も戦術も練習すらいらないのではないだろうか?
(うまくファールする練習は必要かも知れないが...)
もし、マラドーナのプレーがファールで止められていなかったら?
もし、マラドーナが(悪質ファールによる)大ケガをしていなかったら?
たぶん、もっとたくさんの美しいプレーが見られたはずではなかろうか。
戦術的に相手を蹴ったり止めたりするのも認めるべきなのか?
それとも、そういう行為を許すべきではないのか?
大ケガにならないようなファールなら、意図的でも許されるのか?
もし相手チームが先にファールをしてきたら、報復的にやり返すことは許されるのか?
タックルだけでなく、「神の手」についても言えること。
フットボールを愛するのならば、ぜひ考えてみてほしい。